三澤賢治研究室

三澤賢治が多くの人に支持されたいがためにいろいろなことに努力いたします。

思えば20年

私は今年の12月30日で40歳を迎える。

20年前。高校卒業して1年が経ってもこれといった仕事は見つからず、毎日寝る間も惜しんで12時間やっている大学受験勉強もうまくいかず。

 

しかしそれでも20歳になったとき2日後には新年というから目標を立てた。大学を諦め、就職のための資格取得に励むことを誓った。

 

だが現実は思うようにはいかずどれもうまくいかない。資格取得勉強も努力はしているが、これといった成功もない。

 

アルバイトの面接を18のときから受けても100社落ち、運転免許試験も約300回落ちてやっと受かったのは34のとき。先月にゴールドを取得した。行政書士弁理士公認会計士もそれぞれ8年か10年の猛勉強で取得した。去年は不動産鑑定士を16年目でサクラが咲いた🌸

 

資格を取ったのはいいがもはや体力、気力ともに限界が来ている。ゴールド免許を取ったというが、ペーパードライバーである。最近ハンドルを握ったのは免許更新のとき。

 

誰の援助もなく、しかし学校まで行って資格取得というのは。

やはり学校に行っていたらすぐに資格取得は取れたと思うが、私は元来学校が嫌いだ。沈鬱というか同級生がいっぱいいても話したこともないし、知らない奴ばかりだし。

 

私は早く卒業したい一心で勉強を頑張った。生まれたときから失敗だった。

何せ母親が未婚のまま生まれた子だから父の顔はまず知らない。

私は独身だが、人間関係もなく父親がいないとなれば、どうすることもできない。

ちなみに母は私が30のときに亡くなった。70歳だった。私は母が40のときに生まれた子なのだ。

実家ぐらしでもあり一人暮らしでもある。

 

もっとこうすればこのような苦労はなかったと思うが、やはり何にせよ苦難は意外なところから雪崩のようにやってくる。

宝くじが何百万当たっても膨大な支払いが待っておりわずか30秒で底をついたことがある。

普通に歩いても轢き逃げを人生で25回遭っており3回目まではよかったのだが5回、10回となると警察からは金目的でわざと轢き逃げを受けたと言いがかりをつけられたことがあった。

 

このように何にせよ不運に遭う20年であった。

 

そしてこれからもそうなるに違いない。